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お金がないなら仕方ない…?

 ここ数年、犬や猫が飼い主の自分勝手な都合によって飼育を放棄されて、野良犬や野良猫になってしまったり、保健所に処分を任せてしまったりするニュースをよく聞くようになった。中には、いわゆる多頭飼育崩壊というもので、多くのペットを飼い、繁殖までさせて数を増やしたのはいいものの、エサ代や動物の医療費などを十分に払えずに、痩せこけてしまったり、病気のまま放置したりし、最後には見かねた市民に通報され、事件にまで発展するケースもあった。


 ペットを飼いはじめるのに、それほど初期投資は必要としない。小さな動物ならば千円とか、大きな動物でも一万円とかでも買えてしまう。ペットを入れておくのに必要なゲージも、五千円もしなかったりするかもしれない。しかし本当にお金がかかるのは、ペットを飼い始めた後だ。ペットは毎日エサを食べる。フンもする、時には病気にもなる。その時は飼った人が責任を持ってエサを買い、フンの処理をし、しつけをして、必要ならば獣医師に見せる必要もある。動物を飼育するというのはその動物の命を背負うということだ。そして彼らは自分でその人間に、正しく声を伝えることはできない。飼育している人間がそれを察する必要がある。


 飼育を放棄されたかわいそうな動物たちは保護されて、有志が協力して、一時的な保護をしたり、新しい飼い主を探したりしている。その様な動きも、近年は活発になってきたようだ。


 ペットの販売ショップで見た時は、それはちいさくて可愛いかもしれないけれども、彼らはおとなになっていく。だんだん言うこともきかなくなるかもしれない。そうなっても、彼らを最後まで面倒をみられるか?ということを、動物を飼う人は問われているのである。十分なお金や、世話をするための時間の余裕がないならば、動物を飼うということは思いとどまるべきだ。


 さて、それらのかわいそうな動物たちがニュースになってから、そういうことは良くないことだということが、人々の中にも根付いてきた。ところが、このようなことが、実はごく一部の動物園であるとはいえ、動物園の中でも起こっている、ということについて気づいていない人もいる。これは深刻な事態だと思っている。


 そもそも、動物園という大きな組織には、大きな信頼がある。人々は、動物園で働いている人たちはプロであり、その中には必ず獣医がいて、適切な飼育がなされているということを信じているのである。


 しかし実際のところ、多くの動物園は赤字である。そして、それは公立動物園ならば税金によって補われている。それでも、飼育している動物に対して、飼育員が少なく、多忙であったり、常駐する獣医がいなかったり、十分な設備がなかったりしている。そうなれば、動物は十分な福祉を得られなくなってくるようになる。しかし、「お金がないなら仕方ない」と思ってしまうのだ。


 ペットに関しては、飼い始めた人間が最後まで責任をもって面倒をみることは気づいてきているのに、動物園がお金や人が足りないことを理由に動物の幸せが妨げられているのに仕方ないで済んでしまうのは一体なぜなのだろうか。そもそも、その様な動物園は動物を飼育してはいけないのだ。彼らの行動を制限する代わりに、彼らを最低限の幸せを保証するのはその動物を管理している人間の最低限の共通の義務であるはずだ。


 ゴリラのためにジャングルを作れと言っているわけではない。結局はどれだけやっても、動物たちの本来手にしているはずの自由という幸せを制限していることにかわりはなく、人間の都合である。犬を飼っている人間がみんな、その犬のために大豪邸の犬小屋を作れるわけではない。だからせめて、毎日の食事の管理、掃除、気温も含めた居住の管理、通常の医療、ある程度の行動の選択の自由などの、生命や衛生、精神に関わることの充実くらいは保証するべきである。


 動物園が管理しきれなくなった動物はどうするか。動物園の動物は簡単に里親を探したり、個人が保護をしたりすることはできない。ならばやはり、有志が参加できるようにして、少しでも飼育員たちの業務を手伝うことができるようにするべきだ。事前の十分な消毒や説明を受けた上で、清掃なり、食事の準備なり、できることはあるはずだと思う。今度はその参加する人たちの管理というのも問題になってくるかもしれない。しかし、人や金に困っているならば何かしらの援助を進んで受け入れるか、自ら助けを乞うべきだ。


 もちろん、人手やお金に不足しながらも、自らの努力で動物たちを少しでも幸せにしようと努力している動物園がほとんどであるし、その様な動物園もたくさん訪れたことがある。筆者が問題にしているのはごく一部の、お金や人手不足を理由にそうすることを諦めているごく一部の園や、それを理由に動物園に介入することを咎める人たちである。


 人間の都合で、飼育をはじめた動物を不幸にしてはいけない。お金や人手不足を理由にしてはいけない。少なくとも、動物園という、動物の命の大切さを学ぼうとする場所で、その様な考え方を認めてはいけないはずだ。

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